ベルギービールプリムス君の徒然日記

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ベルギービールプリムス君の閑話休題

みなさんこんにちは、プリムスです。

以前、僕の生まれ故郷ベルギーは3カ国の言葉が使われてるって言ったよね。覚えてるかな?今日はその事について話そうと思う。いつもより少し長くなるよ。

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ベルギーの国土は日本の四国のおよそ1.5倍で小さな国なんだ。そこに3つの言語文化圏がある。これはベルギーが辿ってきた複雑な歴史が影響してるんだ。

現在のベルギーの地域には青銅器時代からケルト族のベルガエが住んでたんだ。ベルギーという国名はこれに由来すると言われている。紀元前57年頃にローマ帝国カエサル(出た❗️有名人‼️)はベルガエ族との戦いの末にこの地を征服したんだ。彼は後に「ガリア戦記」の中でベルガエ族のことを"敵ながら極めて勇敢であり、よく闘う"と記している。この後、5世紀初頭までローマ帝国の属州だったんだ。

ゲルマン民族の大移動により、北部地域にはゲルマン系民族が、南部地域はラテン系のローマ帝国の影響をそれぞれ受け継いで行ったんだ。この時期に言語文化圏の特徴が根付いたようでオランダとの長い国境線を持つ地域はオランダ語圏、フランスとルクセンブルクと国境を接する地域はフランス語圏になっていったんだ。

中世にはフランドル伯領、ブラバンド公国、リエージュ司教国などの封建国家が林立したり、神聖ローマ帝国、スペイン、フランスらオーストリアの支配を受けて1815年にナポレオン(またしても有名人‼️)がワーテルローで敗れた後にウィーン会議でオランダに併合された事もあったんだ。

そして、国土全体の3%未満のドイツ国境地域は人口1%弱のドイツ語圏なんだ。この地域は18世紀末からオーストリア、フランス、プロイセンを経て一度はベルギーになったんだけど、またドイツ領になって再びベルギーに戻ったのは1944年にヒトラーから解放された時なんだ。第二次世界大戦を経験した人々にとってはこの地域は実質ドイツだったんだけど、3番目の言語として認められたのは何と1963年になってからだったんだ。まぁなかなかこの遺恨は根深いのは判るよね。

ベルギーは1つの国として形作られたのはパリで起こった7月革命がきっかけで1830年のことなんだ。因みに僕の友だちはヴィクトル・ユゴーレ・ミゼラブルをかつて愛読していたから、この辺りの事だけはわりと知ってたみたい。

しかし、ベルギーは小さいながらもEU🇪🇺やNATOの本部があったりでヨーロッパの中ではとても存在感があるんだよ。交通の弁も良くて、ブリュッセルからロンドンまではユーロスターで2時間ちょっとで行けたりするんだ。

ベルギーの魅力はチョコレートやワッフルだけじゃないんだ。でも、もしも今度また閑話休題の回を設けられるとしたら次はベルギーの美食について話したいな。

 

僕の生まれ故郷のこと、ちょっとはわかってくれたかな?それではまたね :)